どうも今年の梅雨は当たりのようで、毎日毎日雨がしとしと降って気持ちが塞いでしまいそうだ。きょうも朝から降り続いた雨が、夕方近くなって霧雨になっている。
気持ちが憂うつなのはそればかりではない。雨の日は花の売れ行きがイマイチなのだ。ただでさえ雨の日には荷物が多めになるので、更なる荷物になる花を買う客が少なくなるのも頷ける。余程の花好きなら別だろうけど。
店先に出て今日は暇だなあ、なんて思っていたら欠伸が出てきてしまった。思わず周りを見回したが、誰もいないのでホッとする。
そんなことを考えていたら、右手から自転車が近づいてくるのが見えた。結構スピ-ドが出ているようで危ない。
そう言えば初めて悠介と出会った時も、自転車を避けた時にバランスを崩したら悠介が腰とお尻を支えてくれたんだっけ。
-もうあれから2ヶ月が経ったんだ。
出会って普通に付き合うようにはなったが、どうもこの頃は会ってももう一つウキウキしてこない。初デ-トの時などはもうメロメロだったことを思い出して、そのギャップに何か寂しいような物足りないような複雑な気分になった。
-まさかもう倦怠期になっちゃったなんてこと、ないわよね?
やれやれ、とため息をついていたら、右肩の辺りをチョンチョンと叩かれて飛び上がるほどびっくりした。
これは悠介だな、と思って技をかけてやろうか、などと悪戯心が起きたが…。
振り向いて、それこそ心臓が飛び出るのではないか、というほど驚いてしまった。
そこには何とあの王子様がいるのだ!
今日は髭をきれいに剃ってかなりラフな格好をしているわ!
「こんにちは、驚かして申し訳ない。声を掛けたんですが、気付かないようだったので失礼しました」
相変わらずスキのない挨拶だわ、なんて思っていたら意外なことを言われた。
「実は今日はお願いごとがあってきました。近々母の退院祝いのパーティ―を行うことになったのですが、花好きの母が、家中に花を置いて欲しいと言い出して駄々をこねるんですよ。それで申し訳ないのですが、事前に家に来ていただいてどこに何の花を生けたらいいか、見ていただきたいのですが如何でしょうか?」
何という幸運なのだろう‼ 店にとっても良いことだけど、それ以上にこの人のことをもっと知ることが出来るなんて‼
そんな喜びをおくびにも出さないで、美里は落ち着いていう。
「まあ、そうですか、ありがとうございます。それでは日時やご予算など詳しいことを承りますので、店の中にお入りいただけますか?」
ドキドキしながらも、しっかりと応対できたことにホッとした。
彼を店の中に招き入れ、母に事情を話して『商談』を進めることとなった。
注文書に書き込んでいる名前は『西園寺文麿』、住所は『目黒区青葉台』。都内でもトップ3に入る超高級住宅街で、たしか代官山と中目黒の近くにあるところだ。
-やっぱり良家のお坊ちゃんだったのね。
美里はちょっと心が醒めていくような気持を感じた。やはり自分とは住む世界が違う人だったんだわ。美里がいくら憧れても好きになっても、叶うはずなんか無いだろう。
「お祝いの日は1週間後という事なので、明日にも下見に伺わせていただきます。」
有難うございました、と母がお礼を言っているので、私も同時に頭を下げた。
「それでは明日お願いいたします。」
そして私に向き直り、
「あなたにも是非来ていただきたい。お待ちしていますよ。」
そう言うと、ゆっくりとした足取りで店を出て行ってしまった。
えっ、私も?
一度は覚めかけた心ではあったけれど、彼のたっての願いとあれば行かないわけにはいかない。商売第一だし、これからもお得意さんになってくれるかもしれないし、それに何といってもお金持ちの邸宅を覗くのも悪くはないわね。などと理屈をこねまわして臆病な心に勇気の水を吹きかけた。
たとえ住む世界が違っても、一時でもいいから優雅な豪華な雰囲気に触れていたい、浸っていたい、女の子ならだれでも感じる、憧れることなのではないだろうか?
明日王子様の家を訪ねるのが、俄然楽しく思えてきた。
「ねえ美里、今日はもう仕舞にしちゃおうか? もうお客さんも来ないだろうし。早じまいして明日の支度でもしようかね。明日は忙しいだろうから。」
母も私同様何かウキウキしているようだ。こういう乙女のような母を私は嫌いじゃないわ、と美里は思った。
さっきまで降っていた霧雨は止んだようだ。店先に出て空を見上げると、大きな虹がかかっていた。
《つづく》
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