恋愛小説 ハッピ-エンドばかりじゃないけれど

大人になったばかりの男女大学生たちの、真剣だけれどドジな行ったり来たりを繰り返す、恋と友情の物語

第25話 美波の災難

その夜、美波の帰りが遅くなったのには特にこれと言った理由はなかったのだが、最寄りのメトロの駅を降りたのが9時半をとうに過ぎていた。

メトロの出口は大通りに面しているから車や人の往来は多いが、1本また1本と脇道に入るにつけ人通りがパタッと途絶えてしまい、街灯がポツンポツンと侘しく地面を照らしている坂の多い夜道を歩くのは、何とも言えない薄気味悪さがある。

 

-毎日通っている道なのに、何故か今夜は感じが違うみたい…。

 

それに加えて、家までの道のりで最も厄介なのは途中に小さい公園があることだった。昼間の明るい時間であれば、そこを抜けていけば近道なので通ることもあるが、夜しかも9時過ぎであればとてもではないけれど、鬱蒼と木々が茂っている薄暗いところなど通れはしない。第一怖い。

    

という事で、ちょっと回り道にはなるが公園の外周を廻って、家まであと数分のとこまで来た時だった。

突然、悲鳴のような声が聞こえたので、思わず足が止まってしまった。

……

女性の悲鳴が聞こえたような気がしたのだけど…。

耳を澄まして神経を研ぎ澄まして集中するが、今は何も聞こえない。

 

-気のせいだったのかしら?

 

怪訝には感じたが、美波はまた歩き始めた。こんなところで突っ立っていたってしょうがないし、とにかく怖い。

そのうち奇妙なことに気付いた。どういう訳か歩き方がぎこちない、ように感じる。

 

-どうしちゃったんだろう…。

 

歩いているのにどういう訳か前に進んでいない!

すると後ろから足音みたいな音が聞こえてきたので、飛び上がらんばかりにギクッとする。

コツ、コツ、コツ…。

足音は間違いなく後ろから自分に近づいてきている!

ここにきて美波は、自分がとんでもなく危険な状況に置かれているのではないか、という得も言われぬ恐怖に打ち震えた。

足音は美波のすぐ後ろまで近づいている…

すると足音は美波のすぐ後ろで止まり、何かが美波の肩に触れてきた…トントンと。

 

押し寄せる恐怖で胸が押しつぶされそうになった刹那、美波は夜空を凍らせるようなおどろおどろしい悲鳴を上げているではないか!

 

美波は既に分かっていたのだった! 誰が後ろにいるのかを!

覚悟を決めてゆっくりと後ろを振り向くと、そこにはあの向井が立っているではないか!それも白いTシャツを真っ赤に染めて、右手には血がべっとりついたナイフを握って…。

彼の顔はというと…何故かニヤニヤと笑っている。どうして笑っているのだろう、と思ったら、突然彼の口の両端が耳のところまで持ち上がる、いや耳まで裂けたように見えた!

そこで美波はまた悲鳴を上げていた。この世の終わりの瞬間とはそのようなものか、と想像させるには十分な凄まじい声音であった。

……

誰かの名前を叫んだような気もするが、そこ迄だった、美波が覚えていたのは…。

 

彼女は自身の叫び声で飛び起きてしまったようだ。間違いなく叫び声を上げたはずだが…暫く息をひそめていたが、家の中で誰かが動き出した気配はない。

 

-怖かった…

 

と思ったら体がガタガタと震えてきたようだ。そして心臓の鼓動が異常なほどに速く激しく耳の奥で響き渡っていた。

あの夢がもう少し長かったら、自分は気絶していたかもしれない。

そしてその時にやっと気付いたのだ、自分がいる場所を。

どう見てもここは自分の部屋のベッドの上だった。

 

-そうか、やっぱり転寝してしまったのね…。

 

美波はゆっくりと記憶の糸を手繰っていた。

彼に抱かれたような錯覚を覚えた後、気持ちを抑えられなくなって…

……

その後のことはよく覚えていない。覚えていないけど、感覚がまだ残っているのだ。

 

-随分リアルな夢だったわ。

 

その時突然、自分が容易ならない寒気に襲われているのに気がついた。頭もガンガンする。

美波はソファからゆっくりと起き上がって、薬箱を取りにリビングに降りて行った。薬を飲んだらすぐ寝るつもりでいた。

-明日は学校行けそうにないかも…。

 

それがベッドに横になった美波が、泥のような眠りに陥る直前に思ったことだった。

 

《つづく》

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